ヨガってなぁに?
ヨガをすればするほど、深まるナゾ。
最初は、身体を動かすことで得られていた解放感。
シャバーアーサナでの癒しを求めて、練習していました。
だんだんとヨガ哲学に興味を持ち始めて、本を読んだり、wsに参加したりしてきました。
今朝、料理をしながら、ふっと降りてきたことがあったので、備忘録です。
ヨガは、アーサナをしている時だけではない。
何か対象物とつながっている時、意識が一体化している時がヨガをしているということなのではないか?
だから、料理をしたり、誰かとお話ししてつながる時、瞑想をして空っぽになる時、頭を空っぽにしてポーズを取る時。
それが、[Yoga],つながるということなのではないか。
文字で何回も読んでいたこの言葉が、すーっと腑に落ちることがあります。
ヨガの哲学では、プルシャとプラクリティが存在します。
動かない世界と動く世界。
私たちは、動く世界に生きています。
その私たちの中に「アートマン」という動かない魂のようなものがあって、
それが自分の本質であるとヨガ哲学では言ってます。
プルシャ(見るもの)とプラクリティ(見られるもの)が存在する。
私たちが感情やエゴに振り回されている時には、その2つが一緒にあって、
認識できない。
でも、「あ、私イライラしているな」と客観視できたらば、この2つは分かれている状態なのです。
そして、エゴをなるべく少なくして振り回されている回数を少なくすれば心穏やかな状態を保てる。
ヨガスートラでいう「心の作用を止滅する」ことになる。
そうすると誰もが持っている内なるものと繋がり、それぞれの個性に合わせた役割が見えてくる。
ヨガの目標は、自己認識と自己実現です。自分を知ることです。
ヨガ哲学でいう、ブラフマンとも繋がるようになる。
そういうことか。
だから、「私なんてまだまだです」なんて思っているうちは繋がれない。
その行為の結果に自分でジャッジをしているから。
その行為一つ一つを味わっていけば、できないポーズも楽しく、うまくいかないことも経験として捉えられ、
一つ一つが学びで気づきとなっていく。
だって、人生万事塞翁が馬。
なにが、正しいかなんて、全然わからないですもの。
色々な経験を気づきや学びと思ったら、怒るのではなく、大笑いできるし、感謝できる。
さきほど、降りてきた言葉です。
すごい言葉だからメモメモ。