知り合いのインストラクターの方が、ヨガの8支則について、日常的な視点から書いていたので、それが良いなと思い、
私もヨガスートラについて書いていこうかなと思います。
あくまでも「今」の私の理解で、数年後に見たら、削除したいくらい恥ずかしいものになるかもしれません(笑)
昨年の夏に受けたルパリのヨガスートラの勉強会でも同じことをしました。
本や頭で学んでいても実生活に生きていなかったらヨガではないんですよねぇ。
それは、「知識」でしかない。
ヨガはアーサナだけではない、そのより深い叡智を学ぶには経験もインプットもアウトプットも必要。
私は、ブログやレッスンでアウトプットの機会が与えられていて、そこからまた学びが深められます。
今年もそのことに感謝しつつ、今日はヨガスートラについて考えてみたいと思います。
その前提として、ヨガスートラって何?というお話。
ヨガの教え(ヨガスートラ)におけるヨガの目的は、レッスンでもお話させていただいてますが、「心の作用を止滅すること」。
これがだいたいの本の訳なのですが、心の動きをなくすことは出来ません。
そうではなく、心の揺れ幅を穏やかにすること、心の水路を整えること、ざわついた心の霧を晴らしていくこと。
こういう方が分かりやすいかと思います。
このことを書き記したのが、パタンジャリ師です。
彼は、神様ではないかとも言われていて、
紀元前100年から紀元後500年の間に書かれたと言われていて
はっきりしません。
というのも、インドのヴェーダ(聖典)は一番最古のリグヴェーダなどは
作者不明なシュルティ(神からの啓示)と言われるものでクォリティーがとても高くて、
一番難解です。
なので一番最近のものから過去への順に読んでいくという、普通の文献と逆の方向(私の中で)なのです。
普通の文献は古いものから読んだ方が流れが分かって読み易い。
だから、一番分かりやすい実践書という形をとっているのがヨガスートラなのです。
しかも、簡潔な文章で196文(スートラとは糸という意味)。
これが簡潔すぎて、色々な解釈本が増えたわけです。
でも、1文1文がすっごく難しい(笑)
シンプルだから簡単というのは間違い。
これが今の私の理解です。
写真:参考文献。ヨガスートラの訳本は、たくさん出ています。
相川圭子さんのヤマ二ヤマは内容は分かり易いのですが、
ヒマラヤの聖者に対する依存度が高くて私には違和感があります。
ヨガは手放していくものだから。
明日へ続く。