最近、私の中でヨガのあり方がより明確になってきて、アーサナをとりながら自分の体を内観しています。
前からそう思っていたし、そうレッスンでお話してたのだけれど、ようやく腑に落ちたというか、しっくりきたような気がします。
転機はGWのフェニックスライジングヨガセラピーだと思います。
あの講座で内観が進んだ。
私の中で受け取る準備ができたのだと思います。
最近、よく思うのが
「相手に受け取る準備が整っていなかったら、こちらが提案したことも伝わらない」ということ。
以前、この言葉をヨガの先生から言われて、お節介な私はしっくりこなかったのです。
「いいことは言っておいたほうがいいんじゃない?」って。
でも、最近、準備が整っていない人に出会う機会があって、
「そういうことかぁ」と納得がいきました。
自分で周りに壁を作り、自分が被害者であると錯覚してしまう。
人生でそんな経験をしたことって、結構あるのでは?
(私は実際に諫早に引っ越してきてしばらくした時に思ったことがありました。疎外感ですね)
人は、自分が見たいものをみる。
その思い(フィルター)で色々みると、あら、不思議!
その裏付けをしてくれるのです。
その思いをニュートラルな状態に戻すのにヨガがとても役に立つのです。
呼吸を通して、身体と向き合い、自分と向き合い、その時間だけ頭を空っぽにしてみる。
そうすると、あれ?
そんなことなかったな・・・。
もしくは、そこから少し離れた目でみれるようになる。
私は、私のヨガでそこを伝えたいなと思います。
アーサナの上達よりも私はそこを深めたい。
ヨガを伝える目的が明確になりました。
心のどこかで、アドバンスのアーサナに憧れる部分もありました。
その想いを受け止め、握らない。
アーサナは道具であり、心を知るための手段にすぎない。
そこばかりしていたら、包丁を研ぎ続けて、料理をしないようなもの。
包丁を研ぐのも大切!
料理をするためにね!
そして、目的は食べるため😊
人生においては、自分らしく幸せに生きることでしょうか✨
ナマステ🙏
写真:開脚前屈。
昔は全然つきませんでした。
だから、わたしはこのくらいで良し!
でも、練習をしないわけではありません。