10年


 私がヨガを習いはじめたのは、2012年2月です。
ヨガを始めてもうすぐ10年になります。
そこで、10年を振り返ってみようかと思いました。
長いので気が向いたら、読んでください。


 2011年2月に東京から諫早に引っ越して、心が疲れた状態で年が明けて、何だか苦しい状態で、
私自身が変わらないといけないと思い、ヨガを始めたのでした。

その頃は自分で決めたり実行する力も弱くなっていて、大切な決定事項は主人に任せていました。
なんで、決定する力が弱くなっていたかも、今なら分かる。

東京から引っ越しを最終的に決めたのは、私だから。
その決定を1年間後悔し続けた結果、自分の決断に自信が持てなくなったのです。
何をするのも主人に聞いて確認してました。
今じゃ考えられない(笑)


1年間、決断を人に任せる、そんなことを繰り返していると楽なんだけど、どんどん自分に自信がなくなっていくという悪循環に陥ってました。
昔から、自分で決めないと納得しない性格のくせに住む場所も子供の幼稚園も仕事も全部人任せにしようとした。
自分に合わないことをするというストレスの威力を当時知らなかった。

なんで、急にこんなことを書くのかというと、ヨガの話をしようと思っていたのに、言葉が降りてきたから。
コロナ禍で過去の私と同じように苦しんでいる人がいるような気がしたから。
ワクチンを打つ、外出をする、人と会う、すべての行動に以前よりも意思、決定力が必要。
その決定をどんなものであれ、ご自身は否定しないであげてください。
自分で自分の決断を否定したときの自分に対する破壊力は凄まじいです。
否定しないであげれたら、あれは良い勉強になったと転換できますから。

横道にそれました。

そんな感じで、久しぶりに自分で決断した習い事、動く瞑想と言われるアシュタンガヴィンヤサヨガにはまり、鈍った身体のクレンジングをしました。
思考ばかりが先行する私にとって必要なものでした。
みるみる回復して、心も身体も健康になっていきました。
どんな人でも病む時があるってことです。
だから、今元気がない人も落ち込みすぎないで。

次第に、ヨガって身体を動かす、それだけじゃないという世界を知るようになりました。
ヨガ哲学があり、マントラがある。
私のヨガを探す旅が始まりました。

今、辿り着いたのは、パタンジャリのヨーガ。
インドのヨーガ専修大学の先生から英語で(通訳あり)、そして、大学公認の日本人の先生から学んでます。
何でも突き詰めるとアカデミックになるってことですね。
ちなみに、学びを深めるとヨーガに呼び方が変わりました(笑)
なので、私はレッスン名をyogaに変えたのもそのせいです。

パタンジャリとは、ヨーガ・スートラを編纂した人で、全てのヨーガの実践の定義を記しています。
つまり、パタンジャリの定義は全てのヨーガに入っていると言えます。
根っこの根っこ。

今、日本で行われているレッスンは、ハタヨガと言われるものです。
ハタヨガとは、体を使ったヨガ。
目に見える体を使って、内側に意識を巡らしていくヨガ。
ヨガの中の1つなんです。

え⁉️って感じでしょ?
私は、え⁉️って感じでした。
私がヨガだと思っていたのはヨガの一部だったのですw

で、他は何があるの?ってなりました。

・マントラを唱えるマントラヨーガ
・聖典を読み学ぶ知識のヨーガ
・奉仕活動をするカルマヨーガ
・8支則全てを網羅するラージャヨーガ(王道)
・至高の存在へ帰依するバクティヨーガ

などがあります。
また、身体を使うハタヨガの中でもアーサナは一部で、クリヤ(浄化法)があり、呼吸法がある。

では、なんでアーサナばっかりになったんだろう?
と私の中で疑問が生じました。
私が推測するにですね、現代人は便利な世の中すぎて運動量が足りない。
水汲みに行かなくても水道はすぐ出るし、車や電車でどこでも行けるし、畑も耕さなくていい。
そうすると、体が整わない。
だから、アーサナの比重が上がったんだと個人的に思います。
あと、ヨーガがヨガとしてインドから西洋に渡ったっていうこともあるかもしれません。
正しいかは分かりません。
だから、アーサナを8年実践してある程度体が整った私は、アーサナだけに満足できなくなったのも、そのせいかなぁと思っています。

今、私が主に練習しているのは、呼吸法です。
アーサナは背骨を満遍なく動かす7つほどのアーサナをして、プラーナヤーマ、チャンティング、マントラを唱えるのに1時間割いています。
それが整ってきたら、座ることに時間を割けるようになるんだろうなぁ。

中町のスタジオ時代にマントラが怖いとレビューを書かれたことがありました。
私の説明不足だったと反省してます。
マントラは怖いものではありません。
潜在意識に働きかける音が持つバイブレーションです。
ただし、ご自身が不快な場合はするならしない方がいいと思います。
今は、個人レッスンですので、抵抗がない方にはとりあえず聞いてもらっています。
理想は、共に唱えることです。
相手の準備が整うまで待つということもヨーガでは大切なことですので、強要はしません。

ヨガの技法にさまざまなバリエーションがあるのは、1人1人が自分に合った方法で自分と向き合うためです。
先生に言われたから盲目的にするのではなく、自分で試してみて、疑問があったら質問し、
それで自分に合わなかったらそれは忘れなさい、つまり実践しなくていいとヨーガの先生はおっしゃります。

何が自分に合うのか、自分軸で実践することを通して、日常生活においても自分に合ったものを選ぶことができると思います。
そのために、マットで実践しているのです。
何のために?
外に幸せを求めなくても、幸せに生きるためにです。
これからもそのお手伝いができれば幸いです💖

長文お読みいただきありがとうございます。

ナマステ🙏