oneness


 私は、ヨガを学び始めてヨガ哲学を学び始めました。
 これが難しくて、難しくて・・・。

 カイヴァリヤダーマジャパンのCCYで一通り教えていただいた後は、ヨガ哲学の講座を受けつつ、本をたくさん読みました。
 最近は、ヨガ哲学じゃなくて、他の種類の本も読んでます。
 仏教書、科学系から、都市伝説系、ジャックアタリや、サピエンス全史などなど。
 最近は、胡散臭いと思っていたスピリチュアル系の本も読み始めたんです。
 この胡散臭いと思う先入観は真実を遠ざけますね(苦笑)

 読み進めていくと、ヨガ哲学や仏教書と同じことをちょっとキラキラした感じで書いていることに気づきました。
 今朝、子供たちのお弁当を作りながら言葉が降りてきてつながったので、こうして忘れる前に、急いで書き留めています。

 インド思想では、わたしたちの内側にアートマンという自我ではない意識があると考えられてます。
 怒っている「私」を観察するもう1人の「私」。いますよね?
 宇宙の創造神ブラフマン(イーシュワラ)と同一でその分身が私たちの内側にいるという思想です(梵我一如)。
 なので、私達1人1人が神様だという考え方です。

 この世は、マーヤ、幻で、神様がこの世に遊び(リラ)にきていると考えます。
 ドラクエのロールプレイングゲームみたいな感じです。
 映画マトリックスの電極繋がってない感じ。
 
 脱線しますが、自殺の何がダメなのかというと、ゲームで変な終わり方すると次のプレイで好ましくないスタートから始まるって感じだと思います。
 今世で良くないことをした場合も同様です。
 因果応報です。
 だから、インド人はカースト制を諦めて受け入れていたんですね‼️

 この世の中では行動することで色々開けてくる。
 だって、ドラクエで宿屋で休んでばかりいたり、フィールドでぐるぐるしてたら、話進まないでしょう?

 色々行動して、経験して、それを楽しむことがミッションです。
 ゲームだって、楽しむためにしてますよね?

 梵我一如は、ワンネスのこと。繋がっているということ。
 諸行無常は、万物は変化していること。プラクリティのことです。

 幸せとは、ある程度の欲望を叶え自分を満たした後、周りに貢献して繋がっていることを実感すること。その行動を楽しむこと。
 自分を満たせないから貧困がよくないんですよね。
 一方、貢献することが自分を満たしている人もいると思います。人それぞれ。
 必要とされている、世の中を良くしている、役に立っている、孤独ではないという実感を持って生きていくこと。
 これがハーバード大学でいう幸福の追跡調査の結果と一致します。
 
 ロールプレイングゲームの役割が使命であり、ありのままの自分であることで見えてくるもの。
 元々はそこにあるのが、教育や世の中の価値観、環境によってそれが捻じ曲げられ、インナーチャイルドが傷つき、それがトラウマになって、行動を阻害してしまう。行動ができないから、ゲームが進まなくて、停滞して、面白くない。
 
 魔法使いの特性のある人は武闘家になるには不利だし、武闘家は武闘家の特性があります。
 なのに、みんな均一に全部普通に満遍なくさせようとすることが不幸につながる。
 走るのが苦手なら走るが得意な子に任せればいいのだし、数学が得意な子が数学を極めればいいんだし。
 全員が数1をやる必要はないんだろうなぁ。

 色々教育されて、価値観を刷り込まれていてありのままの自分がよく分からなくなっていると思います(私も)。
 少しずつ、その薄皮を剥がすように、自分の好きなことって何だったかな?
 今の自分は何が好きかな?です。
 ポイントは「今」‼️

   子供の時、私は木登りが好きでしたが、今は触るのが好きです。
 もう子供じゃないからそんなに登りたくないんですよね。

 あと、どうやら私は文章にする力があるらしいです。(人に言われることも特性を見つける参考になります)
 なので、こうして書き記すことも役割なのかもしれません。

 色んなところに、きっとヒントはあるはず。
 時間があるときにぼーっとして、思い出してみてくださいね。
 あぁ、暇だなと思うくらい余白がないと見つかりません。余白がないと入ってこないんです。
 これが空です。からっぽは満たすための器なんです。
そしてこれは、自分の宝探しのための時間です✨

 この自分のための備忘録が誰かの役に立てれば、幸いです。

 ナマステ🙏

 下の写真は、私が1番わかりやすかった本です。
 界隈の方には有名な本みたいです↓